2011年4月19日(火):
イエスは言われました:「私の民よ、あなた方が福音書で読んでいるように、聖ペトロが私を三度知らないと否定したことや、今日ユダが私を裏切ったことを。ユダにはサタンが入り込み、その裏切り行為は大祭司に至るまで進んだのだ。その時、ユダは棍棒や剣で武装した男たちを連れてきて、私の顔をキスして私を捕らえるべき人物だと示した。彼が私を裏切った後、彼はそんなにも心を痛めているために、私の許しを求めるのではなく自殺することに決めた。聖ペトロも三度私を否定したことを悔やんでいたが、その反応は私への侮辱について悲しむものであり、私が彼に愛してほしいと三度言うと彼は私の許しを求めることになった。すべての人々は罪人に過ぎず、あなた方もまた自分の罪で私を傷つけている。私はあなたが神父にお告げするために懺悔の聖体を与えている。人は弱さから犯罪を行うことはあるが、それよりも重要なのはその反応だ。もし本当に私の侮辱について悲しんでいるなら、できるだけ早く懺悔に来てほしいと願っている。しかし、いくつかの罪人たちはただ単に罪を犯すばかりでなく、精神的な生活においても怠け者であり、私から許しを求めることさえしない。誰かは自分の罪を告白することを恥じている。また、自分が重大な罪を犯したと認めたくない人々や、懺悔の必要性を見出せない人もいる。あなたには真に形成された良心があり、重大な罪について認めることが求められるし、特に性的な罪については即座に懺悔するべきだ。少なくとも月に一度は懺悔に来てほしいし、私の教会では復活祭の義務として年に一度は懺悔を要求している。懺悔を延ばすことで怠け者になるなかれ、重大な罪において死ぬことは永遠に地獄の炎の危険があるからだ。」
イエスは言われました:「私の民よ、毎日私はあなたに人々を差し出しております。これらの魂ができる限り多く救われる機会としてです。話すことができない人にでも出会ったなら、少なくともこの魂たちのために祈ってください。彼らが改心の恩寵を受けるようにと。あなた方のロザリオの意図の中には全ての罪人ために祈るものがありますが、今日出会うすべての人に対してこの意図を加えることもできます。誰でもこの生涯を乗り越えられるよう祈りが必要ですから、あなた方の全ての意図のために祈りを二倍にしてください。私は愛によって皆を私のところへ呼んでおります。いくたりかは私の呼び声に応えてくれましたが、あなたはむしろ私の呼び声を聞き入れない者たちのためにもっと祈っています。あなた方がそれぞれの人を見るときには、その中に私を見ようとし、私が彼らを愛するように彼らを愛してください。」