祝福されたお母さんが来て言われました:「イエズスへの讃美あれ。」
「このサイトを訪問する際に与えられた良心の啓発についてのメッセージは、各魂がその霊的な状態が明らかになるたびに驚きと共に倒れることを意味していたわけではありません。そんな結論には飛躍しすぎです。このような方法で啓示を受ける者もいるでしょう。他の人は、聖愛においての過ちや失敗について、または未告白の過去の罪について自分の出発点に戻るときに啓蒙を受けます。中にはこれらすべてに対して開かれていない者もおり、何も得なかったと言い続けるでしょう。何と愚かなことです。」
「これはどんな恩寵にも似ています。例えば聖体を考えましょう。心が前向きにある者は、聖体の受領によって多くの恩寵を得ることがあります。他の人は少なく感じるでしょう。全体として何も得られないと感じる人もいるかもしれません。それは聖体が現実ではないことを意味しますか?罪状態で不適切に、私の息子――肉体、血液、魂そして神性を受け入れる者もいます。同じように、祈りの場所に深く犯して恩寵すべて―さえ試験的な恩寵を期待する人々が来ます。」
「私が言っているのは、人は神の御心とその聖なる時間枠の中で選ばれた方法によって恩寵を受けるということです。個人の計画に従ってではなく。完全な改悛の恩寵は常に各魂のために用意されていますが、神様は心を説得する最善の時期をご存知です。」